こんにちは。
先日の次男の運動会で、長男のハルの心がとても成長したように感じたとお話していました。
友達との会話をしたいからスマホを買ってほしいとか、友達の連絡先をどうやって聞こうとか。
昨日までは今日学校へ行った時にどう友達と話をするかを話していたハル。
急きょスマホを買いに行こうとお店に話を聞きに行きました。
急すぎて購入までには至りませんでしたが、ハルにはスマホを買う事は決まっているからと伝えました。
友達に連絡先を聞いておけば、買った時にすぐに連絡できるねとも話していました。
今日の朝はきっといつもと違う生活になるかもしれない。
そんな期待をしていた私でしたが、以前と何も変わらない朝を迎えています。
着替えもせずにゲームをしているハルを見て、私はこのままで本当に大丈夫だろうか?と自問自答しています。
前回の記事はこちら
親が期待するのは当たり前
今回もそうですが、ハルが「明日は行く」と言う言葉には期待してしまします。
毎日期待して、やっぱりダメだったとその繰り返しです。
今日は行けれなかったけど、きっと明日は大丈夫。そう言った思いはハルが不登校になってから今になっても変わることはありません。
でも、前日にあまりにも進歩した行動や生活ができた時は、過度に明日への生活の変化を期待してしまいます。
期待した後の代償
その日の朝にならないと行動が分からないと言うのは前から分かっています。
だからこそ、ハルが「今日は無理」「行く気がない」と言った時は私もすごく落ち込んでしまいます。
表情には出さないようにしていますが、ため息の数が増えているような気がします(^^;
そして、本当にこのままでいいのか?と考えてしまう自分がいます。
のんびりとゲームをしているハルが何を考えているのか分からない。私が今していることは正しいのか?
私自身の行動にも自信が持てなくなっているような気がしました。
あまりにも期待しすぎると、結果が出なかったときの気持ちの落ち込みが激しいです。
そんな気持ちの状態で、私はハルにこう言ってしまいました
「学校には行かなくていいから、自分が3年後にやりたいって言ったことをできるように毎日過ごしてほしい。もし、やりたいことの為に学校の勉強が必要なら、学校へ行かなければハルのしたいことはできないよ。よく考えてね。」
「…うん。」
言ってよかったのか、悪かったのか…はっきり言ってわかりません。ただ、私の気持ちが「もう学校へ行かなくてもいいよ」と思ったのは事実です。
何で私はハルを学校へ連れて行こうとしているんだろうと思った結果、ハルにこう言ってしまったんだと思います。
ハルに自分がどうしたいのかを考えて欲しい。
それだけです。
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