小学6年生の息子が不登校になった現実


こんにちは。

小学6年生の息子が3学期から不登校になりました。息子が学校へ行けれなくなった理由を探し、どうにか学校へ行けれるようにと奮闘して4か月が経ちました。

学校に行けれなくなってから息子と私の生活はガラリと変わりました。

現在、このブログを開設したのは2017年5月です。

息子が不登校になって4か月経って、ようやく私も心に余裕ができたのだと思います。

いや。余裕はできていませんが、きっと慣れ始めたんだと思います。

毎日毎日同じような繰り返しですが、息子の少しの変化でも気づくために、備忘録としてブログを開設いたしました。

もしかしたら同じ悩みをお持ちの親御さんにも、共通していることがあるかもしれません。

家族構成

我が家は夫、私、長男(中一)、次男(小4)の4人家族です。

息子が学校に行っていた小学6年の2学期まで、私は週4でパートに行っていました。主人の給与のみでは家計的にもギリギリで、パートで働かないと生活できない状況でした。

これまでの長男

長男(ハル)は小さい頃から言語能力が弱く、心配なところがありました。低学年の頃にも何度か相談をしていましたが、決定定期なことは分かりませんでした。

高学年になり、他の子との差がはっきりとわかるようになりました。4年生からは通級に通うようになります。

知能検査では知的障害と健常者のちょうど間という検査結果でした。

検査結果からは、言語能力が特に他の項目よりも劣っており、話を頭で理解するまでに時間がかかったり、すぐに言葉が出てこない状況であることがわかりました。(検査を受ける前からそう感じることはよくありました)

それでも、担任の先生と話をし、理解してもらいながら学校生活を送っていました。

先生は知っていますが、クラスの子たちはそんなハルの状況は知りませんし、気づきもしません。それは見た目は何も変わらないから。ただ勉強ができない子程度だと思います。

小学6年になってからの小さな変化

通級に通っていたのを自分から「行きたくない」と全く行かなくなりました。理由はクラスの子の目が気になるから、他の子と同じ授業が受けたいとのことでした。

通級に通うのはどこかの授業1限を抜けて通級に通わなくてはいけないので、人目を気にするハルにとって、嫌だったんだと思います。

それでも、特には疲れている様子や学校を行き渋ることはなく過ごしていました。

1か月に1回くらいお腹が痛くなって、学校を休むことが時々ありました。(6年生からではなく、低学年からよくこういうことがあったので気にしていませんでした)

2学期の11月後半ぐらいから1週間に1回、お腹が痛くなることがありました。休む時もありました。

12月の冬休み直前の事

お腹が痛くなり、その日も休みました。「明日は行くから」と言っていましたが、翌日もお腹が痛いと言って朝が起きれません。

そこで初めて、ハルから「学校が怖い」という言葉を聞きます。

担任の先生が訪問

担任の先生と通級の先生がその日の夕方に訪問してくださいました。ハルの様子は布団をかぶって出てきません。

先生と話したくない様子です。

明日が終業式だったので、先生から「明日、待ってるね」と話をしていました。

終業式は学校へ行く

ハルは学校へ行きました。学校へ行けれたので、きっと一時的なことだったんだろうと私は思っていました。

冬休みは普通に過ごし、今の様子から学校へ行けなくなるなんて想像もしませんでした。

3学期が始まった

始業式。家から出るが、すぐに戻ってきて「影が見える。怖い」と言う。結局その日は休み、翌日以降も「影が見える」「怖い」を繰り返し言うようになりました。

不登校という言葉が頭をよぎる

3学期の初日からのハルの様子を見て、私の頭に「不登校」という言葉よぎりました。まだ2日しか休んでいないから、明日は学校に行くだろう。

毎日朝はだるそうで、布団をかぶったまま起きれなくなりました。

3日経って、一週間経って…

来週は行くだろう…

楽しいイベントがあるから行くだろう…

先生と約束したから行くだろう…

明日は行くと言っているから行くだろう…

卒業式の練習が始まるから行くだろう…

結局、2学期のような学校生活はできなくなりました。

3学期の毎日の生活内容

3学期はずっと家にいたわけではなくて、学校の校門⇒職員室まではほぼ毎日行っていました。

少しずつ、少しずつ学校へ近づくように連れていき、ようやく職員室前までは行くことができます。

歩いては行けれないので、私が車での送迎、職員室まで朝付き添います。職員室にいる先生とあいさつをして帰宅。という流れです。

教室にはハルの拒否があるため、入っていません。

ハルの様子からクラスの子たちとは普通には話せないようになっていました。

家に戻ると、ハルはすぐにゲームを始めます。主人は何故学校に行っていないのにゲームをやらせるんだと、私は何度も言われました。

私もそう思っています。でも、勉強ばかりやらせるわけにもいかないんです。ハルは勉強に対して極度の苦手意識があったから。

ただでさえ布団にもぐりたくなるような状況なのに、勉強をやらせたら私との話すら聞いてもらえなくなるんじゃないか?自分の部屋から出てこなくなるんじゃないか?

色々あって、私自身が気を張っているのが疲れてしまったっていうのが本音です。母親失格かもしれませんね。

卒業式の練習が始まった

ハルも卒業式の練習は絶対に行くと意気込んでいました。でも、当日の朝になると、体が言う事を聞いてくれないようです。

とてつもない嫌悪感を感じている様子です。

それでも、ハルの調子がいい時は卒業式の練習に皆と一緒に参加できた時もありました。

だからと言って、すぐには教室で過ごせるようになりませんでした。ハルは教室で皆と過ごすことに対して、強いストレスを感じるようです。

卒業式当日

自分から起きて、着替え、歩いて学校へ行きました。今までなんだったんだろう?と思えるほど何もなかったかのように登校したんです。

自身がついたようで、とても晴れ晴れとした表情でした。私も卒業式に出れたことが驚きで、本当にうれしかったです。

これなら中学も何もなかったかのように行けれるようになるかもしれないと思いました。

春休みになる

ハルは元気に過ごしています。今まで朝起きれなかったことが嘘のように、自分から起きるし、着替えたり、生活しています。

ハルの6年生3学期の生活変化のことを簡単に記載しましたが、ここには書ききれないほどの苦労がありました。心療内科への通院やカウンセリングも通い出しました。

私の仕事の状況

私は週4で働いていたパートを土曜日だけの週1回のみの出勤へ変更しました。平日は毎朝、ハルを時間をかけて起こします。学校への送迎もある為、パートの時間にとてもじゃないけど間に合わないのです。

収入は当然4分の1に減りました。このまま今のパートで働くのは難しいのではないか?と感じています。それでも辞めないのは、パート収入が0になることは避けたかったからです。

私の状況はパート先の上司の好意で首がつながっているだけです。それも分かっているけれど、生活の為には収入は1円でも多く欲しいのが現実でした。

家で出来る仕事を探した

こんな状況で、アフィリエイトに挑戦してみよう考えました。息子が大変な時に何をしているんだ?と思われる方もいるかもしれません。

でも、ハルが家にいる時は私もそばで見守りたいし、ハルが今からなら学校へ行けれると突然言ったのなら、すぐに学校へ送って行ってあげたいんです。

平日のパートをやめたのはそのためです。

アフィリエイトならすべて私の都合のいい時間帯での作業ができます。今の私にとってはぴったりでした。

アフィリエイトで稼ぐのはとても大変なのはわかっています。それでもアフィリエイトをはじめたのは、お金を稼ぐことと、私の精神安定のためです。

ただ家にいる生活は、考えなくてもいいことまで考えてしまいます。息子の為に家にいるのに、私まで気分が落ち込むのはどうしても避けたいと思っていました。

小学校は卒業したけれど、これからは中学校生活が待っています。環境が変われば何もなかったかのようにすんなり学校へ行けれるかもしれません。

でも、ハルの場合はそうはいきませんでした。

中学校生活についてはまた後日記事にします。

最後に

長くなってしまいましたが、このブログを通じて不登校のことを少しでも共感していただけたらありがたいです。

どの親も、まさかうちの子が?って思いと、どうにか学校へ復帰させたいと願う気持ちは一緒だと思います。

私も最初は息子が不登校だと認めたくなかったし、なんで学校に行かないのか?と悩みました。今も悩んでいますが、以前ほどは思い悩むことも少なくなったと思います。

周りから必要以上にアドバイスをもらったり、原因はあるの?と聞かれると、苦しくなることはあります。

ありがたい反面、「何もわかっていないのに」と心の奥で思ってしまう自分がいます。

今はこんな状況ですが、これからブログを更新していく上でハルの変化や、登校できるようになるきっかけを見つけることができるかもしれません。その備忘録として、更新を続けたいと思っています。

 

 

 このブログを応援する


1日1回クリックだけで共感・応援できます

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。


スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA